アスペルガーと甘え!発達障害のせいにして良いこと悪いこと

アスペルガーと甘え!発達障害のせいにして良いこと悪いこと


発達障害として生きていると「発達障害だから仕方ない」と言ってしまうことが多々有ります。実際仕方ない部分も多々あります。しかし、努力を避けるために発達障害のせいにしている面もあるため、どこまでが事実でどこからがいいわけか考察します。

私の病状

あくまで私の話しかできないので私の病状を先に書きます。

私は、自閉症スペクトラム(ASD、いわゆるアスペルガー)、注意欠陥多動性障害(ADHD)を持っています。

症状としては、興味の持てないことを頑張れない、感覚過敏、コミュニケーションに難、特に説明が下手くそ、などがあります。

努力しないことは甘えなのか?

「発達障害のせいで、〇〇ができないんです」というと「努力が足りないんでしょう?」みたいな反応をよくされます。実際どこまでが努力の不足で、どこからが能力的に仕方ないことなのでしょうか?

それは私にもよくわかりません。しかし「今病気を理由にさぼってるな」と実感するタイミングはあります。これはある種の甘えです。

甘えない

私は、自分に甘えるのは良くない、と日々自分自身に言い聞かせて生きています。

病気に甘えると、自分自身の心が弱くなっていく気がするからです。

「病気だからできない」ではなく「リソースの無駄だからやらない」

それでも「病気だからできないんです」と言いたくなる時はあります。そういう時には「リソースの無駄だからやりません」と言うようにしています。

私は興味ないことで努力しようとすると効率が落ちてしまいます。これは事実です。また、そもそもかけた部分があることも事実です。

しかし、かけている分野で必死に努力すれば、かけた部分が埋まる可能性もありますよね。だから、努力が足りないと思われるのです。苦手かつ興味のないことをするのは無駄が多いので、自分の意思でやらないと考えるようにしています。

無駄な努力を「やらない」と、必要な努力に打ち込める

苦手なことを自分の意思で放棄するのですから、必要な努力をして、自分の長所を伸ばす必要があります。

私は「できない」と言っていた時にはだらだら努力のふりをしていたことをしなくなりました。その分できたリソースを必要な努力に回しています。

好きなことに集中すれば私たちはさらに高みへいける

私たち発達障害は、かけた部分があります。同時に、尖った部分も持っています。

尖った部分を伸ばす努力をすることが一番ではありませんか?


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